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石川啄木没後100年 [啄木日誌]

今日は石川啄木の命日でちょうど100年目です。
啄木は明治45年4月13日、東京の住まいで家族に看取られ26年2ヶ月という短い生涯を閉じました。
4月といえば啄木が釧路を去ったのは明治41年4月5日でした。
釧路の駅に降り立ってから76日目の離釧でした。
今年4月5日に、釧路市港町3丁目の濱谷建設さんの敷地内に啄木離釧の地として記念碑が建てられました。
R0019973.jpg
Caplio GX100
石川啄木離釧の地
釧路新聞記者石川啄木は、この地の周辺にあった波止場から艀で沖に停泊する酒田川丸(三四九トン)に乗船して釧路を去った。宮古港に一時寄港し、四月七日夜函館港に着いた

とあります。
これで釧路の啄木の記念碑は28基になりました。
後先になりましたが、27基目は釧路第一泊目の地としての記念碑が、来釧日である1月21日に一泊した釧路新聞社理事の佐藤国司宅跡に建てられました。

R0019964.jpg
石川啄木・釧路第一泊目の地
停車場から十町許り、迎へに来た佐藤国司氏らと共に歩いて、幣舞橋といふを渡った。・・・
と日記の文章が記されています。

今年、来釧と離釧の記念碑がふたつ建ったのでした。

タグ:釧路
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コメント 2

keykun

こんにちは。^^
釧路をあまりにも有名にした人ですね。^^
記念碑めぐりを~
時間作ってって思わせられます。^^)v
by keykun (2012-04-14 14:44) 

えね

keykunさん、こんにちは^^
釧路の町を見渡せる良いところに建っているものや
なかなか見つけにくいものまで。
啄木バスに乗れば海の見渡せる歌碑がある場所が終点です^^v
by えね (2012-04-14 18:55) 

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