石川啄木来釧23日目 [啄木日誌]
数日、さぼってしまいましたが啄木さんはまめにほとんど毎日、日記を綴っています。
今なら人気ブロガーになっていたかも。
家族への送金のトラブルも無事誤解が解けたようです。
が、しかし、その後の送金の話は全くなく家族を呼び寄せる話もどこへやら。
代わりに女性の名前がずいぶん目立つようになりました。
喜望楼の売れっ子芸者、小静。鹿島屋の市子。本行寺の娘、小菅まさえ。
特に、小静の身の上を詳細に書いている。
おい、おいそんなことまでかいという程の立ち入ったことまでを。
小菅まさえを背が低く東京に住んでいたことがあるというところから「三尺ハイカラ」と呼んでいる。
そのあだ名、嫌味で嫌いだぞ!
その三尺ハイカラと演劇の席で隣り合わせになり、手を握る。・・・
あだ名でからかいながら素人にまで手を出す啄木さん・・
しかも、啄木にぞっこんになってしまった、まさえさんは啄木の住まいを何度も訪れるがその度、うとんじられ追い返され一度も会おうとしなかった・・
先日、私が書いた、記者であるが故の・・というフォロー・・
テッカイ させていただきます!
本行寺は歌留多会が催されていたことから「歌留多寺」と呼ばれていました。
歌留多好きの啄木は本行寺に出入りしていて、三尺ハイカラや釧路共立笠井病院の看護婦、梅川操に出会う。そして後に出会う「しゃも寅」の小奴と梅川操は火花を散らす劇的な場面を迎えることになります。
Caplio GX100 本行寺(歌留多寺)
Caplio GX100
港文館まわりには歌留多の石碑が数基設置されている。
この歌留多は「啄木一人百首」という木製の歌留多をレリーフにしたもの。
おはようございます。^^
イヨイヨの~明治の恋のカラサワギ。
三尺ハイカラ。
漱石先生もだけど、当時の命名は辛辣ですね。
女性の中に身を置く。発展家。^^;
良く見る写真のハスに構えた色男も、理解できます。
自信家だったようですしネ!! ^^)V
それにしても・・・証拠の日記を・・・残すかい?
by keykun (2008-02-13 08:25)
keykunさん、こんにちは!
そうなんですよね。日記を残すというのは・・
啄木さんは小説家になりたかったらしく日記というより記録のような
ものだったのかもしれません。
自信家・・鋭いです^^;そして、自分に甘く人に厳しい人のようですね。
by えね (2008-02-13 12:37)