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石川啄木来釧58日目~そして頻りに泣く~ [啄木日誌]

今日は出社。面白い事もない。
どうすれば面白いのさ~
そして三尺事件(啄木が名づけた)はまだ終わっていなかった。
横山から今後この下宿を訪ねぬよう忠告された三尺はその足で梅川の家に行き、こう吐き捨てる。
「今後石川さんに途中で逢っても言葉もかけぬからご安心なさい」
啄木の部屋で、いきさつを説明しながら大泣きする梅川に、横山と啄木はいささか持て余す。
泣いている。涙がとめどもなく流れる。何といっても泣いている。この女も泣くのかと思った。
へこんでいる時に限って追い打ちをかけるようにガツンとやられるものである。
梅川の場合もそうだった。何らかのことで傷つけられ悔しい思いをしている矢先に三尺の一撃。
・・の場合もそうだったというのは実は奇遇なことに私も今日、何年かぶりに不覚にも人前で泣いてしまったのだ。
梅川と同じように人のいないところでまず、さめざめと泣き、それで気が済んだはずが、いきさつを人に話しているうち自分の意思と関係なく勝手にポロポロ落ちてくる。これが止めようにも止まらない。
へこんでなければ絶対泣いてなんかいなかったぞ~・・っと弁解してみる^^;

啄木はこの出来事も歌に詠んでいる。
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わが室に女泣きしを 小説のなかの事かと おもひ出づる日
でも三尺だってかなり傷ついたはず。なのに啄木は、とことん無視。三尺が意識した発端は意味もなく手を握った啄木、君だよ。




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石川啄木来釧57日目~燃えるようなバラ一輪~ [啄木日誌]

啄木は昨日から腹痛だの、何も面白い事がないだの、不快だのと言って会社を二日続けて休みます。
意外なことに啄木はこれまで会社を休んだことはありませんでした。
この日、与謝野鉄幹氏の手紙と「明星」が届き、浪漫主義の文学から現実的な自然主義文学へと進歩していると書いてあり、
この手紙はさらに文学への道と啄木を呼び起こさせるものだったかもしれません。

そして、またこの日、梅川が小さな花瓶に赤いリボンを結わえて、燃えるような造花のバラ一輪を差して啄木を訪ねます。
このことは短歌に認めていますが、本ではなく別ペンネームで釧路新聞に発表しています。
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一輪の赤き薔薇の花を見て 火の息すなる 唇をこそ思へ
歌留多会が縁となった本行寺(歌留多寺)の隣に歌碑は立てられています。
この「赤き薔薇」には後日談があり、それは小奴が絡んでの一騒動と発展します。

啄木は今日も夜の浜へと足を運びます。
汐が引いていて、砂が凍っている。海はやはり静かだ。月は明るい。凍れる砂の上を歩いて知人岬の下の方まで行くと、千鳥が啼いた。生まれて初めて千鳥を聞いた。千鳥!千鳥!月影が鳴くのか、千鳥の声が照るのか!頻りに鳴く。彼方でも此方でも鳴く。凍れる砂の上に三人の影法師は黒かった。
なんて詩的で素敵なんでしょう。このところの啄木の日記はすっかり文学的になっています。
このときの情景を詠んだのが「しらしらと氷かがやき 千鳥なく 釧路の海の冬の月かな」という有名な歌です。
ただし、千鳥が釧路に来るのは4月から5月で千鳥ではないという指摘もありますが、同時期、他の歌人も千鳥の歌を詠んでいることがわかり「千鳥はこの時期確かにいた」という説を言う方もいるそうです。
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石川啄木来釧55日目~ビスケット会~ [啄木日誌]

15日の啄木の日記は、まるで学生の青春日記のようです。
啄木の部屋で昨日に続き歌留多会を開き、以前から遠ざけたかった三尺ハイカラこと小菅まさゑを梅川と横山が巧く芝居をして成功したようです。その代わり梅川操がしつこく訪れるようになるのですが・・^^;
十五夜近い月の夜、三人は海岸で名刺を流します・・?略
芸者の名刺も流した。塩がだんだん満ちて来た。自分らは梅川の袂に入れて行ったビスケットをかじって、「自然」だと連呼した。
「三月十五日は忘れまい」と一人が言い出した。「そうだ、忘れられぬ」と一人が応じた。かくてこの三人を「ビスケット会」と名づけた。「ビスケット会は、自然によって作られ、自然を目的とす」と誰かが言い出した。「毎月十五日には、お互い何処にいても必ずビスケットを食うことにしましょう」と女が附加した。
ビスケット会には入れてもらえないかもしれませんがホワイトデーが昨日であることを思うと何となくタイムリーに感じて以前おみやげにもらったビスケットをかじる私でした。

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石川啄木来釧54日目~ブログインポート~ [啄木日誌]

更新していない別ブログに迷惑コメントが付き始めたので一度うまくいかなかったインポートをもう一度してみる。
あら、簡単に無事成功。以前は文字コードの選択がなかったように思います。それを合わせるとうまくいきました。
が、画像をUPしなくてはいけません。思ったよりたくさんあり3日かけてもまだ未完成^^;地道な作業です。

啄木の方はというと吹雪の大きな記事を書き終えた後、女性にまつわるお話が盛んです。
3月13日は、薬局助手の梅川操について、かなりの長文で人物像を述べ、危険な女であると締め括っています。
男を男と思はぬ様なハシャイダお転婆な女。 心の底の底は、常に淋しい、常に冷たい、誰かしら真に温かい同情を寄せてくれる人もと常に悶えている。

14日、梅川操は啄木の下宿での男ばかりの歌留多会へひとり来て最後まで残り、眠そうな啄木と横山を見てやっと3時半に帰ります。
このように毎夜のごとく訪問する梅川に啄木は迷惑そうに振舞いながら、もしかしたら深入りすることへの恐れを抱いていたのでないかと思ったりします。だって似てません?この二人。啄木も相当な淋しがり屋だと思うから。
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出しぬけの女の笑ひ 身に沁みき 厨に酒の凍る真夜中

このところよく登場する横山(横山城東)はライバル誌北東新報社の元記者で啄木は北東新報社打倒をうたい横山の引き抜きに動きますがこれがばれて横山は社を首になってしまいます。かといって釧路新聞社への入社は叶わず、行き場を失った横山は啄木の下宿へ転がり込み常に啄木と行動を共にしているようです。


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石川啄木来釧51日目 [啄木日誌]

8日から9日の猛吹雪について11日の新聞に啄木は「空前の大風雪」として家屋の倒壊などによる悲惨な被害を克明に詳報しています。
今の紙面じゃ考えられないような小説のような生々しい紙面です。
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旧釧路新聞明治41年3月11日復刻版

昨日の啄木は、向かいの病院の歌留多会で一度会った薬局助手、梅川操から手紙をもらいます。
彼女は啄木の留守宅を何度も訪ねている三尺ハイカラ(小管まさゑ)に啄木との恋の仲立ちを依頼されていたのでした。
啄木は小管まさゑに対して一切無視。皮肉なことに、これをきっかけに梅川操との距離が徐々に近づきつつあります。
同じ日、他社新聞記者や、訳あって啄木の下宿に住むことになった横山と、しゃも寅に出かけている。
小奴は非常に酔っていた。この日自分へ手紙を出したということであったが、まだ届かぬ。
3月11日に小奴からの手紙が届きます。
小奴の長い長い手紙に起こされる。昨夜むなしく別れた時は「唯あやしく胸のみとどろぎ申候」と書いてあった。相逢って三度四度に過ぎぬのに何故こうなつかしいかと書いてあった。「君のみ心の美しさ浄けさに私の思いはいやまさり申候」と書いてあった。 略 夜に入って雪は雨となった。葡萄酒を飲んで小奴へ長い長い手紙の返事を長く長く書いた。俺の方では、名も聴かなかった妹に邂逅した様に思うが、お身は決して俺にほれては可けぬと。
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石川啄木来釧49日目~釧路沿岸流氷漂着!~ [啄木日誌]

風が強いので、これはもしかして流氷接岸するんじゃないの~?
と・・どこが一番近くで見られるだろうと、しばし考え、とりあえず啄木の歌碑がある弁天が浜へ。
ちなみに昨日、今日の啄木の日記では猛吹雪で取材先の小学校から出られず一泊しなければならないアクシデントに見舞われている。
生れて初めての大風雪、形容も何も出来たものぢゃない。 雪は全く人間を脅迫している。
途中、啄木バスに連れられるように着くと・・・
えっ、え~




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石川啄木来釧47日目~釧路で流氷観測 [啄木日誌]

釧路沖で5年ぶりに流氷が観測されました。
といってもよほど強い南風が吹かない限り接岸することはなさそう。
啄木がいた頃は現在より平均気温も低く流氷を間近に見ることも珍しくなかったようです。

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携帯 CASIO W41CA
北の海 鯨追ふ子等大いなる 流氷来るを見ては喜ぶ
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しらしらと 氷かがやき千鳥なく 釧路の海の冬の月かな
米町公園Caplio GX100
米町公園は釧路港に落ちる夕日の美しいスポットでもあります。
過去フォトですが
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米町公園






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石川啄木来釧43日目 [啄木日誌]

3月3日

酔って九時半ごろ散会。出る時小奴は一通の手紙を予の手に忍ばせた。裏門の瓦斯燈のほの暗き光のもと封を切ると、中には細字の文と共に、かつて自分の呉れてやった紙幣が入っていた。小奴の心は迷っている。予は直ぐ引き返して玄関を開けた。奴を呼んで封筒のまま投げて返す。

こうゆうメロドラマチックな展開は実際あったことと思うと結構好きです。創作としてならダメダメだけど。
よっぽど性悪な女じゃない限り、受け取れないですよね啄木のお金なんざ。
逆に貢がれても良いくらいなのに。小奴はやっぱり啄木の才能を信じて好きだったはず。

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小奴の記念碑は後年彼女が経営した近江屋旅館跡に建てられました。

「あはれかの国のはてにて酒のみきかなしみの滓を啜るごとくに」 「小奴といひし女のやはらかき耳朶なども忘れがたかり」 「舞へといへば立ちて舞ひにきおのづから悪酒の酔ひにたふるるまでも」

小奴碑



啄木の像が建つ歌碑の「さいはての・・」は小奴(後の近江ジンさん)の筆によるものです。
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石川啄木来釧42日目~釧路の坂~ [啄木日誌]

3月2日


          空白


この日の日記は、日付だけで空白です。
この何日かで、小学校教員の不祥事を新聞に暴こうとし、その小学校の教員に口止め料のようなものをもらったり、記事中止を説得されたりそれが原因なのか前日は眠れなかったようです。

今日はお天気が良かったので、29日の「波もなき・・」の歌碑の辺りにまである坂を巡ってみることにしました。

まずは幣舞橋を渡って「釧路市生涯学習センター」の駐車場に向かう。
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ここでは何かしら行事や催しがあるので第一駐車場はいつも満車。今日も入れそうにないので高台の第二駐車場に車を停める。
ここから釧路で一番有名な「出世坂」に下りられるがまた戻ることになるので、まず「支庁坂」へ。
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「支庁坂」を下りると南大通へ出るのでそのまままっすぐ進みぐるりと料亭喜望楼があった辺りの「佐野碑園」をまわり、しゃも寅通りを歩きます。「佐野碑園」の内部は後日。
そこからまっすぐ行くと「舟見坂」へ続く「波もなき」の歌碑が立つ見晴らしのいい場所へ。
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「舟見坂」を下りて「休み坂」へと続きます。「休み坂」というのは坂が多いので休み休み歩かなければならないという意味だそう。
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啄木は小奴のいる料亭しゃも寅から、この「舟見坂」と「休み坂」を通って下宿へと帰りました。
「休み坂」を下りる前に「武富私道」という小路を歩いてみます。
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ここは啄木が料亭や蕎麦屋へと何度も行き来した坂です。
「休み坂」を下りてまた南大通へ。頑張って「富士見坂」へとたどり着きます。
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ここの壁にあるたくさんのモニュメントはよく見ると可愛らしげです。ふだんは車で行き来するので気づきませんでした。
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そして「出世坂」へ。
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ようやく上りきりました。
「出世坂」というのは官公庁が多く立ち並ぶ町へと続く坂だったための名前ですが、他にも「おさよ坂」「地獄坂」とも言われたことがありました。
「おさよ坂」というのは殺された女性の名前だとか。怖い名前ですね。「地獄坂」は今のように階段のない坂道だった頃はさぞかし地獄のような怖い急坂であったことでしょう。冬なんて上れたのかな。
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「出世坂」を上りきったところにある幣舞公園は幣舞橋、観光施設「MOO」を望む見晴らしの良いところです。「MOO」は最近お化粧直しをしましたが私以外にはあの黄色は不評です。
私は黄色が好きなので・・そのうちちょうどいい色あんばいになるんでないかい。
幣舞公園は昔、警察署だったのでトイレがその模型になっています。
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写真は全てCaplio GX100


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石川啄木来釧40日目 [啄木日誌]

29日の日記は、
尊敬するかつての文学仲間の友人が小学校の代用教員となっていることに嘆き悲しみ、
懐かしい故郷への思いを綴った後・・・

釧路へ来てすでに四十日。 新聞の為には随分尽しているものの、本を手にした事は一度もない。 今月の雑誌なと、来たままでまだ手をも触れぬ。 生れて初めて、酒に親しむ事だけは覚えた。盃二つで赤くなった自分が 、わずか四十日の間に一人前飲める程になった。 芸者という者に近づいて見たのも生れて以来この釧路が初めてだ。 これを思うと、何という事はなく心に淋しい影がさす。 しかし、これも不可抗力である。ともかくもこの短時日の間に釧路で自分を知らぬ人は一人もなくなった。 自分は、釧路における新聞記者として着々何の障害なしに成功している。 噫、石川啄木は釧路人から立派な新聞記者と思われ、旗亭に放歌して芸者共にもてはやされ、夜は三時に寝て、朝は十時に起きる。 一切の仮面を剥ぎ去った人生の現実は、しかしながらこれに尽きているのだ。 石川啄木!!!

これは釧路における啄木のイメージそのまま。
友人に自分を見る思いだったのか、釧路を離れたいと思う心はこの頃から芽生え始めていたかもしれません。

それにしても、私としたことがいきなり20日も滞在日数を書き間違えていることに、この日記で気付きました。
啄木さん、数字に関しては正確です。
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波もなき二月の湾に 白塗の 外国船が低く浮かべりR0011379.jpg
Caplio GX100
この歌碑は釧路港を見渡す見晴らしの良い高台に立っています。
まわりにマンションや住宅で囲まれているので、居心地は別として綺麗に整備された路と見晴らしはとても気に入っています。

石川啄木歌碑



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