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石川啄木来釧39日目 [啄木日誌]

啄木は友人から今月だけで複数の友人から多額の借金をしています。
その金で遊びまわり、仕事も順調。とても心地よく楽しそう。

28日、節子夫人からの「第二の恋」という忠実な妻の手紙に打たれ、15円を送金する。
当然、心が曇る。
小樽の家族は、啄木の満足な送金もなく、障子も襖もない、あばら家のような家で貧窮した生活をしています。
それでも小奴の胃痛を聞くと早退してまで見舞いに行く。益々、心が曇る。

悲しい性です。
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Caplio GX100
酒のめば悲しみ一時に湧き来るを 寝て夢みぬを うれしとはせし

石川啄木歌碑



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石川啄木来釧36日目~東家の蕎麦 [啄木日誌]

2月25日
しゃも寅に行ったが室がないとの事で仕方なく、或る蕎麦屋へ行った。
啄木は蕎麦が好きだったらしく、日記にはよく蕎麦を食したことが記されています。

私は釧路は蕎麦屋が多いと思っていました。地元誌によると、それは間違いらしく
蕎麦屋が多いのではなく「東家」の蕎麦屋が多いのだというのです。
確かに、どこの町に行っても「東家」の、のぼりが目立ちます。
「東家」の創業は明治30年初代が小樽で開業、二代目が函館、不幸にも大火で店舗が全焼し、しばらく表具店で生計をたてますが、明治45年に釧路で再び開業し今日に至っています。なので啄木がいた41年にはまだ「東家」は存在しません。
釧路の蕎麦文化~東家総本店竹老園~

小樽、函館、釧路
順番は違っても啄木の放浪と重なりますね。
あと4年早ければ啄木も「東家」の緑色の蕎麦を食べていたのでしょう。
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PENTAX *istDS+FLEKTOGON auto 2.4/35 MC CARL ZEISS JENA DDR
蕎麦の特徴は分店によって異なりますが、クロレラの粉末を練り込んだ緑色の蕎麦が大半。
「抜き」という蕎麦を抜いたスープや「蕎麦寿司」(蕎麦寿司は本店の竹老園のみ)も珍しいメニューでお勧めです。

竹老園東家総本店



この日は啄木の日記の文末に面白いことが・・
一時頃まで喰つて飲んで、出かけると途中で変な男に出会した。跡をつけて見たが二時間許り、時間を空費したに過ぎなかつた。
二時間も跡をつけまわすなんて、どこから来る好奇心でしょう。新聞記者として?短歌や小説のネタとして?
それにしてもこの変な男って私も気になる・・^^;
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石川啄木来釧33日目 [啄木日誌]

「小奴のカッポレは見事であった」
この日記の文は小奴への気持ちを表す言葉として代表的なものだと思います。
啄木が魅かれる女性は今で言えば品格を持つ、できる女ではなかったかと想像します。
14歳で知り合った白百合の君と慕った節子夫人は文学や音楽を愛し、小学校の教員を勤めた時期もあります。
小奴もまた喜望楼と並ぶ大料亭、しゃも寅の売れっ子芸妓として啄木の目には輝く女性として映ったのではないでしょうか。

このしゃも寅の敷地内には、「しゃも寅の井戸」と呼ばれる湧き水があり、この井戸を訪れた女流詩人深尾須磨子さんは「天に北斗、地にしゃも寅の水」と絶賛するほどの名水です。
私も昔、汲みに行ったことがありますが、残念ながら周りを綺麗に舗装した以後、皮肉にも水質が悪くなってしまい今では飲むことができなくなってしまいました。


Caplio GX100
しゃも寅の井戸近辺の歌碑です。

Caplio GX100
葡萄色の 古き手帳にのこりたる かの会合の時と処かな

Caplio GX100
火をしたふ虫のごとくに ともしびの明るき家に かよひ慣れにき


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石川啄木来釧32日目 [啄木日誌]

啄木が来釧して、もう一ヶ月以上経ってしまいました。
21日はずいぶん忙しい一日を過ごしたようです。
啄木は今日、確かに釧路にいたという証、唯一の写真撮影をしている。

Caplio GX100 釧路石川啄木研究学会発行「釧路啄木紀行」より
勤め先の釧路新聞社の前での記念撮影で小柄な啄木は、ほぼ中央で高い台に乗り、かっこよく写っている。
そして今日は釧路での恋人とされる芸者、小奴と出会った日でもある。
この記念撮影の旭川から来た、鉄道関係の視察団一行歓迎会会場、喜望楼に呼ばれていた小奴と啄木は既に意識しあっていることが読み取れる。





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石川啄木来釧25日目 [啄木日誌]

釧路はこのところ寒さがゆるんできました。強い寒気がやってこようが、本州で大雪が降ろうが釧路は雪知らず。氷で覆われた地面も少しずつ融け始めています。

啄木もやはり同じ頃、寒さがゆるみ釧路の冬に身体が慣れてきたようです。
毎晩遅くまで大いに遊び、仕事面でも他紙合同の演劇出演に盛り上がり、主筆の出張中、自分に一切の責任があると張り切っている。
どちらも調子に乗りすぎるとあまり良いことはないような気がしますが?
円形脱毛症を患って薬をもらいつけ始めた啄木・・いったい何を悩んでいたのでしょう・・・


Caplio GX100
釧路市南大通には、くしろ歴史の散歩道とし啄木通りというフラグがついた街路灯が建ち並び、啄木バスも走る。

Caplio GX100
そのバスの終点、踏み切りの向こうに太平洋を望む弁天が浜にはこの歌碑が。
さらさらと 氷の屑が波に鳴る 磯の月夜のゆきかへりかな

どんなに毎晩遊び歩いていても、決して美しい目は失わないで過ごした啄木。
だからこそ今現在残る啄木の名前。ただの酔いどれサラリーマンではなかった証です。

米町4丁目啄木歌碑









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石川啄木来釧23日目 [啄木日誌]

数日、さぼってしまいましたが啄木さんはまめにほとんど毎日、日記を綴っています。
今なら人気ブロガーになっていたかも。

家族への送金のトラブルも無事誤解が解けたようです。
が、しかし、その後の送金の話は全くなく家族を呼び寄せる話もどこへやら。
代わりに女性の名前がずいぶん目立つようになりました。

喜望楼の売れっ子芸者、小静。鹿島屋の市子。本行寺の娘、小菅まさえ。
特に、小静の身の上を詳細に書いている。
おい、おいそんなことまでかいという程の立ち入ったことまでを。
小菅まさえを背が低く東京に住んでいたことがあるというところから「三尺ハイカラ」と呼んでいる。
そのあだ名、嫌味で嫌いだぞ!
その三尺ハイカラと演劇の席で隣り合わせになり、手を握る。・・・
あだ名でからかいながら素人にまで手を出す啄木さん・・
しかも、啄木にぞっこんになってしまった、まさえさんは啄木の住まいを何度も訪れるがその度、うとんじられ追い返され一度も会おうとしなかった・・
先日、私が書いた、記者であるが故の・・というフォロー・・
テッカイ させていただきます!

本行寺は歌留多会が催されていたことから「歌留多寺」と呼ばれていました。
歌留多好きの啄木は本行寺に出入りしていて、三尺ハイカラや釧路共立笠井病院の看護婦、梅川操に出会う。そして後に出会う「しゃも寅」の小奴と梅川操は火花を散らす劇的な場面を迎えることになります。

Caplio GX100 本行寺(歌留多寺)

本行寺(歌留多寺)



Caplio GX100 
港文館まわりには歌留多の石碑が数基設置されている。
この歌留多は「啄木一人百首」という木製の歌留多をレリーフにしたもの。



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MOOリニューアル~石川啄木来釧18日目 [啄木日誌]

外装塗り替えの為、しばらく足場と幕で覆われていて全然絵にならなかった観光施設MOOが、2月の初めにやっとお目見えした。
海側からの蓮葉氷が流れる川に黄色の外装が映える。


Caplio GX100
さて、今日の啄木は函館時代の同僚、遠藤の訪問を受け社長から貰った時計を質に入れて喜望楼に飲みに行く。
5円半というから5万5千円くらいですか。サラリーマンが気軽に飲みにいく場所ではありません。喜望楼は落成式の宴会が初めてで、その後、身銭を切って行くのはこのときが初めてのようです。
せっかく貰った時計を質にまで入れて遠藤を連れてきたのは単なる見栄とか遊びたいとかいうのでもなさそうな。
というのも喜望楼に行く前に「遠藤は当町で一番成績の悪い、醜聞の多い第三小学校に出ている。一つ内情を聞こうと思ったがなかなか話さない」としている。
もしかしたら新聞記者としての熱意がそうさせたのかなと憶測したりして。あくまでも憶測ですが。
しかし、このときの芸者、小静を偉く気に入った様子なのでこの辺はわかりやすい啄木さんでした。


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湯たんぽ買いました~石川啄木来釧15日目 [啄木日誌]

今年は寒さが厳しいうえに燃料の値上がりは辛いものがある。
暖房の温度を抑え目にすると足が冷えて眠れない。
で、立春ですが湯たんぽ買っちゃいました。早く買えば良かった。

Caplio GX100
あ~あ~直接乗っちゃったら火傷しちゃいますよ~
で、今日の啄木。

Caplio GX100 モノクロ
こほりたるインクの壜を 火に翳し 涙ながれぬともしびの下

釧路シーサイドホテル


これはシーサイドホテルの壁に大きく書かれている。かなり大きい。よくわからないかもしれないので今度は遠景で撮影してみましょうね。
啄木の住んでいた「関下宿」がこの付近だったらしい。
書き始めて10日で筆を止めてしまった同僚の菊池君をタイトルにした「菊池君」という小説では「華氏寒暖計が、毎朝零下二十度から三十度までの間を昇降して居た」とある。
現在は零下12度から20度くらいなので寒い寒いと言っても啄木の頃から比べたらまだましで、その寒さで火鉢ひとつは厳しいですよね。

「茶をそそいだままにしていた茶碗がふたつに割れて盛り上がった黄色の氷が傍に転げていた」というのは私も経験あります。
昔のアパートが隙間風が入るような古さで電気毛布で寝ていたんですが、飲み残してしまったコーヒーカップが朝、割れて粉々になっていました。金魚鉢も凍っていたけど、金魚は冬眠状態になるので溶けるとスイスイ泳いでいましたよ。
なんなんだ、この厳しい生活は・・この生活は1年半で終わりました。
啄木よりも長いじゃん^^;

そう、そう今日の啄木ですが、やたら憤慨しています。
2月4日、釧路で大火事があったと9時に起きて聞いてびっくりしていたら日景主筆が正午から早退してしまい大分忙しい目にあった・・佐藤も上杉もまるで役に立たない。これで新聞記者とは驚いたものだ・・と。
おまけに家出中の父の手紙には小樽の家族が一銭も送金してこないという手紙を受け取って心配しているとあったので、送ったじゃないか~!とお怒りです。後日のため厳重な手紙を出したそうです^^;
今みたいにオンラインで即送金できるわけじゃないから行き違いがあったんじゃないかなあ・・啄木さんそんなに怒っていられるのは今のうちじゃないかなあ・・と思われます。


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釧路氷祭り~石川啄木来釧14日目 [啄木日誌]

2月1日から3日は釧路の氷祭りの日、夜の氷の滑り台にも長蛇の列が出来ていました。
手塚治さんの氷像が立っています。なにか記念日でしたでしょうか?
ちなみに石川啄木さんの氷像はありませんでした。

PENTAX K10D+DA FISH-EYE 10-17mmF3.5-4.5ED[IF]
氷の氷像も良いけれど、2日に行われる花火とシャボン玉のショーは素敵です。


PENTAX K10D+DA FISH-EYE 10-17mmF3.5-4.5ED[IF]
手からビ~ム!という感じで・・^^;シャボン玉、つぶれて飛んでいるわけではありません。
なかなか写真に収めるには難しいですが雰囲気わかるでしょうか。
音楽と照明、シャボン玉と花火のファンタジアショーです。実際、シャボン玉の数はすごいです。

PENTAX K10D+DA FISH-EYE 10-17mmF3.5-4.5ED[IF]モノクロ
別会場ではロマンテックな音楽が流れる一面アイスキャンドルです。
小さなキャンドルなのでカラーよりモノクロの方が雰囲気を出せるような気がしました。

さて、今日の啄木ですが、昨日2月2日は社屋落成式の宴会のテーブルに福引を置き、それがなぞかけになっていてその答えが景品という粋なゲームをやり大いに盛り上げた。
次の日、会社に行くとその話で大繁盛になっていたと日記で自慢(?)しています。
酒と芸者遊びはこの落成式の日、初めて覚えたのでした。
わずかの酒で真っ赤になった若き啄木は、さぞかし芸者衆にもてはやされたでしょう。
この日から啄木の芸者遊びは夜毎のように続くのです。


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PENTAX変遷記~石川啄木来釧12日目 [啄木日誌]

啄木の釧路の勤め先、旧釧路新聞社を復元した港文館の過去写真を探しているうちこんな写真を見つけた。
K100Dを手に入れてよほど嬉しかったのだろう。フィッシュアイもたぶん手に入れたばかりの頃である。
2005年に*istDSで撮影している。
が、現在この2台とも手元にはない。ボディどころかK100Dにくっついている40mm Limitedすらない。このLimitedを手放すのはちょっと惜しかったかも。
してもって現在所持しているK10DがK20Dに変るかも・・って?
それはおそらくないだろう。本当のところK10Dを購入するつもりも当初はなかった。画素数600万画素で十分と思っていたくらいだから1460万画素といわれてもあまり興味がない。
K10D購入のきっかけは防塵、防滴にあったのだから、興味があるとすれば防塵、防滴のおニューのレンズなんです・・
で、なんで啄木と一緒に記念写真なんだろう・・^^;


PENTAX *istDS+DA FISH-EYE 10-17mmF3.5-4.5ED[IF]

PENTAX *istDS+シグマ28-70mm F2.8EX DG
港文館は一階が喫茶店、二階が啄木の資料館になっている。

Sony cybershot
1月31日、給料15円、別に佐藤国司理事から10円をもらう。
2月1日、小樽の家族へ18円と節子に1円と合せて19円を送る。
家族は啄木の母、妻の節子、長女の京子。寺の住職であった父は宗費を滞納し寺を追われ家出をしている。一家の生活を背負うこととなった啄木の放浪はここから始まった。が、その父の滞納の理由は啄木が東京に出ていた頃の借金返済のためであるとかの説あり。

この頃の啄木は社長から新聞が一新したと褒められ、5円と銀側時計をもらい、啄木が来釧した次の日新築移転完了した木造の家並みが連なる中で当時の釧路にしてみれば珍しい煉瓦造りの新社屋で、小さいけれど気持ちよき建築と云い、実際やってみれば新聞記者も面白いものに候と意気揚々とした様子が伺える。
社長や理事の計らいで家族を呼ぶつもりであるという啄木の願いもこの時点では嘘偽りはないように感じ取れる。
が、明日は社屋落成の日。宴会の福引作りに精を出す啄木は明日の体験がどのように自分に影響を与えるか想像しただろうか。


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